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春陽展は2007年に住み慣れた上野の地、東京都美術館から、六本木の国立新美術館に移行し、第84回春陽展を開催した。今年度の2009年第86回展開催で3年目を迎えた。
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国立新美術館は国内最大級の展示スペースを誇る新しいタイプの美術館!
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新しい六本木の美術館はコレクションを持たない、国内最大級の展示スペース(14,000㎡)。多彩な展覧会の開催や展覧会カタログを中心とした美術に関する資料の収集.公開.提供。展覧会に合わせた講演会、シンポジウム、ギャラリートーク、ワークショップの開催など、アートセンターとしての役割を果たす新しいタイプの美術館です。
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2007年以降の作品
2007年 第84回春陽展出品作
「春雷」F130
2007年 第84回春陽展 「春雷」F130号 国立新美術館に春陽展が移行した第一作となりました。春の雷は厳しい寒さの冬から春へと気圧配置が変移り変わることによっておこる気象現象で、農作業の目安ともなり、また、慶事のたとえでもあります。前年の春の制作の最中によく鳴った雷からイメージし形象化したものです。’06年から’07年にかけての冬は記録的暖冬で地球温暖化が現実の問題として迫っていることが実感されました。雷に撃たれ飛び跳ねるように浮いている人。下には黒々とした木々が生えている。この幹から春を告げる芽吹きはあるのだろうか。自然界に明らかな異変をもたらしたことへの警鐘としてこの作品を描きました。
84回展「宙」
2007年 第84回 春陽展「宙」F130号第84回展は一人4mの壁面が与えられF130号2点を出品することが出来ました。2作目の「宙」は弥勒菩薩の半跏思惟の形を採っています。大きく足を拡げエロチックに感じるポーズですがヨガやバレーにも繋がる精神の安定した様子を示す形なのです。薄い布を肩から掛け、すーっと浮いています。激い動きの「春雷」に対し内面の情熱を示すものとして対比させました。
卒業以続いたTRY展は武蔵野美大の同期の仲間と組んだグループ展だ。おそらく44回も休み無く続いたグループ展はそう多くはないだろう。毎年巡ってくる会期に向けて描き続け、会期中は厳しくお互いの作品を批評するのが常だった。惰性も含めこのように永く発表する場が与えられ無かったら今のように絵を描く立場を築くことは出来なかっただろう。グループのメンバーや支えてくれた人々に感謝・・
齊藤雅之作品集
2005〜2006 春陽展出品作
人の生と自然の生成に係る営みの姿を浮遊する人の形を借りて表す試みを続けて来た。
2006年第83回 春陽展「水の記憶」F120号「月光」「弦無」では豊かな死へのイメージを捉え「水の記憶」では羊水を漂う胎児への回帰をイメージし描いた。湿潤でねっとりとした形体の斑点が空間を埋め尽くし、落下しているともとれる人物を浮かび上がらせている。絵を描くことは生(エロス)と死(タナトス)の表裏一体の関係から逃れることは出来ない。すべての生には死の気配が漂う。季節の移ろいの中に繰り返されるその気配を嗅ぎ分けたい。
第83回 春陽展は東京都美術館での最後の展示となった。いろいろな思いの詰まった上野を離れ、第84回展から始まる六本木、国立新美術館の春陽展は大きな変革を作家自身が負わなくてはならないだろう。
齊藤雅之作品集
春陽展出品作2004〜2003
豊かな死のイメージを抱き浮遊するひと
2004年第81回 春陽展「月光」F130号夜明けを待ち、降り注ぐ月明かりの中で繰り広げられるひとのあり方。(存在)
この先何処に行くのだろう。強い不安を抱えた今の時代の心境をこの作品に託した。ゆったりと浮いているとも落ちているとも取れる(ひと)の形を強調し描いた。下方から延びる植物の芽を新たな生の象徴として対比した。F120号とF130号の2点を競わせ描きその内一点を第81回春陽展に出品した。
2003年 第80回春陽展「地の声を聞く」F120号第80回記念春陽展 2003年の春陽展は特別企画として「第二世代の作家達」の企画があった。第二世代とは創立会員の跡を継いだ作家達で最も春陽会らしい芯の通った具象作家達がそろった時代でした。私が春陽展に出品した頃がまさに諸先輩の全盛期で会場の壁面は充実していました。企画展の一部屋に並んだ作品は「絵というものはこういうものだ」という無言の教えを発しているように思えました。
植物の種子は芽吹くための長い間、地中での闇の時を過ごしている。出を待つ時へ、じっと息を潜めこれからの活躍の場に思いを馳せながら。
図書館からダンテの神曲「地獄編」を借り久しぶりに読んでみた。ヴィルジリオの亡霊によって地獄と煉獄を通り抜け天国に至る試練の旅の物語は能の世界観と同じ宇宙観を持ち幽玄な感覚に満ちている。イメージの豊さに感嘆する。